篠別府棒踊

篠別府棒踊について

篠別府、名貫地区で明治の初め、民心一新のため高鍋切原から取り入れた踊りで、当時高鍋から師匠の来る日は、途中まで出迎えに行ったという。棒踊りは鎌踊り、太刀踊りを総称したもので、4人、6人、8人、12人、16人棒、それに巻棒とそれぞれ組み合わせがある。護身術の1つで剣道着、袴、襷、鉢巻き姿で、6尺棒を持って踊る。「明治28年5月19日、名貫人民都農神社ニ棒踊奉納」の記録がある。昭和30年頃までは、上名貫神社や一の宮の祭りに奉納していた。同62年に一度披露、平成4年12月13日(冬祭当日)中学生によって5年ぶりに上名貫神社に奉納された。踊り手は長男に限られていた。その理由については「次男、三男は他所に出てしまい、踊りの秘技が漏れてしまうから」と言う。
川南(名貫)の棒踊りは、明治6年名貫水路の開通を祝うために、鹿児島から師匠を招いて習い覚えた。また、新富町(湯の宮)と高崎町(高坂・鍋)の棒踊りも鹿児島から伝授されたと、それぞれの町史は述べている。

出世天神 上名貫神社
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